はじめに
時間というのは、あまりに捉え難く、元来人類にとって太陽や月の動きが時間そのものであった。時を理解しやすくする為川の流れなどに喩えている例もある。時間の流れは過去・現在・未来永久に流れてゆくものであると認識されている。
私たちは、歩行時、走行時、更には乗車時など、それぞれの速度の違いによって周りの風景の見え方が変わることを経験で知っている。のんびり散歩するときは周囲がよく見え普段気づかなかったものが発見出来たりするが、早足で目的地に向かうときには自身の動きにより周囲の景色はぶれてしまってはっきり見えない。
人間はいつの時代でも、自分が持っている知識の中で世界を解釈、理解しようとしてきた。人の自然な知覚・認知様式に沿った、もしくはその延長線上にある絵画表現、つまり認識として私が思う「動画として見る絵巻」は 11~12 世紀頃の中国・日本において盛んに試みられた様で、私たちはその一端を今日も目にすることができる。
ここでは、それらの絵画作品を特徴づけるものは何であるのかを論じる必要がある。答えとしては、主観的な視点に時間軸が含まれていることになる。そこに描かれているものは他のイメージとの関係性によって意味が認識され、表象とは異なる観念も生み出していく。
研究の背景と目的
写真・映画の登場以来、絵画が現実の再現という役割から解放されて久しいものの、視覚メディアが描く行為に限られていた時代(洞窟壁画の時代から 19世紀に至るまでの長い期間)には絵画は現実の再現という機能に於いて様々な成果を収めてきたのも事実である。特に西洋に於いては中世末以降写実的な表現が発達し、15 世紀の透視図法の発展で三次元空間の再現を可能とした。しかし、実際のところは現実の再現として不完全なところもあった。現実の視覚環境は、鑑賞者が常に動く事により視点が移動し、モチーフである人や生物がそれ自体も常に動き続けるわけであるから、一瞬の感覚に訴えかけ絵画性を生み出している「瞬間写実」の静止画ではなく、動画のような複数視点からイメージの連続性を表現する絵巻絵画として成立するのである。
絵巻絵画には、現代の視点で見れば何とも奇妙な表現が鏤められているケースも多い。それは写真・映画とは違う美を見る者に体験させることに繋がる。現代社会では、こうしたことが表現手法として定式化しているのは絵画ではなく映画などの映像表現であると言える。
ここで、幾つかの問題点が浮かび上がってくる。絵巻における絵画表現技法に於いて、例えば動勢に結びつく造形要素や数多いモチーフの空間設定、再現から表現への主観的な創意、複雑なダイナミクスの構図原理などを、現代日本画の画面ではどのように展開できるのかがそれにあたる。
私が具体的な課題を意識しはじめたのは、学部四年間で中国・唐時代の二つの古典絵巻の現状模写を通してそこにある特殊な時空表現の魅力に惹かれ、学部卒業制作において、中国の古典絵巻における時空表現方法を取り入れようとしたことからである。その後、2018 年 10 月から日本に留学したことにより日本の古典絵巻に関する研究へと繋がっていった。
「一遍上人絵伝」、「信貴山縁起絵巻」などの模写を通し研究を進めることによって、日本画の原点に立ち返り東洋絵画における時間と空間の見方に対する考えを深めることができた。今後の展開として自らの制作にもその技法や表現を取り入れ、実際の絵巻制作をするだけに留まらず、それらを手に取り開閉して楽しむ観賞方法に加え、新しい形で作品との対峙方法を提示できる現代日本画技法による魅力が表出した創作をしていきたい。
研究の内容と方法
修士課程では「現代日本画に於ける古典絵巻時空表現の応用と画面への活用」を研究の中心に据え制作を進めた。古典絵巻を研究し絵画制作をする事によって、多面的な時間を現代日本画画面に取り入れ時の流れを表現できるという制作上の基盤を得る事が出来ると考え、新たな絵画としてその成果を証明する様に試みる事にした。複数の視点による対象を分析、再構成することで画面に新たな時空を構成し、時の流れを静的な現代日本画の画面にも表す事ができるように実験を繰り返している。
研究途中に於いて現代絵画と絵巻の相違点である「時間の流れ」について考察する必要性が出てきた。そもそも絵巻は、現代でいう紙芝居・絵本と同様、連続したイメージが進んでいく事により全体像を浮かび上がらせ、叙情的な物語として完結をする。作画的には表面上各場面の辻褄を合わせながら画面を構成しているとも言えるが、時の流れを物語として表現した絵巻絵画は東洋絵画独自のものである事には変わりはない。
「時間と空間の流れ」を描くには、自分自身の主観性を客観化する為先行研究からの考証が必要となる。美術史の流れを見つめ直しながら、それらの概念や技術を深め自身の制作に取り入れる事が新しい展開の基盤にもなる。
東洋の伝統的な時空表現方法だけではなく、西洋絵画及びその他文化芸術圏の絵画作品における時空表現方法も研究し、現代日本画画面に時間性のある動的表現をどのように深く掘り下げ解釈し、そして他の分野における時空表現方法と融合させることが可能なのか、自身の制作を主体として活動していることを生かし時間性のある動的表現に関して今後の可能性を示唆する結果に繋いでいく。同時に、画面上にも主観性と客観性を混在させながら、それらを統一する補助として、自らの表現方法を想定しながら主題に対する答えを求めていく。
研究の特色および意義
絵画の様式や図像は伝承が容易であるが、動勢は目に見えない。モチーフを個別に写し取ったとしても、そこに内在し他のモチーフとの関係性から発生する動勢まで気を配らなくてはどのような精神的構造をその絵が持っているかは伝わらないのである。従って、そうした内面性が画家個人の創意工夫により表現として確立させると考えられる。
古典絵巻絵画表現技法に於いての動勢に結びつく造形要素や数の多いモチーフの空間設定、再現から表現への主観的な創意、複雑なダイナミクスの構図原理などを現代日本画の画面に於いてどのように展開できるのか、それを論じる研究は大変少ない。未開拓な課題である故、自身がその画面における時間性を含む動的表現の制作研究に臨むうえで、その課題や意義について客観的に把握することが必要となる。
「異時同図法」を用いた非瞬間の時空表現
東洋の伝統的な絵巻における時間と空間を効果的に表現するため、西洋の「単一焦点による遠近法」とは異なる複数視点による対象の把握と時空の転換を重視し、さらには「異時同図法」も応用しながらエピソードを進めた。
「異時同図法」とは、異なる時間を一つの構図の中に描き込み、画面に主役が重複して登場し、連続した動作を表現することである。これまでの自身の創作にも「異時同図法」を幾度も取り入れている。ここに五つの試作を挙げて説明する。
1.《仲間になろう》 2022 年
サイズ 170cm × 210cm 材料 高知麻紙、岩絵具、金箔、盛上など
2022 年制作の日展に入選した《仲間になろう》は、日本の昔話桃太郎からインスピレーションを受けて制作した作品である。
「異時同図法」による表現として登場人物の桃太郎は四体描き、犬や猿、キジとの出会いの後最後にはチームになった経過を表現している。そして金箔貼という伝統的な技法を応用しながら画面の合間に雲霞を描き、場面の転換や時間の経過を暗示させた。
制作の過程において登場人物を描く際にはモデルを写生する一方で時代考証に基づいた服装の調査も行っている。
2.《百鬼曲水図》 2023 年
サイズ 255cm × 162cm 材料 高知麻紙、岩絵具、雲母、盛上など
中国・東晋の永和 9 年(353 年)3 月、蘭亭という場所に名士 41 名が集まり曲水に觴(さかずき)を流して詩を賦し、詩ができなければ罰として酒盃を傾けたという有名な故事がある。そのときの詩集に書道名家の王羲之が序を作ったのが「蘭亭集序」である。日本にもこの故事は伝わり、松村景文や狩野山雪、曽我蕭白が「蘭亭曲水図」としてその情景を描いた。
私はそこから本作のインスピレーションが浮かび、自らの表現方法によってこの主題に取り組むこととした。娯楽して魅力のある曲水の宴は、名士ならぬ百鬼を中心人物にしたことで川の流転による時の流れや周りの風景の意味合いが大きく変わった。ユーモラスな百鬼曲水の宴をイメージし楽しそうな雰囲気を醸し出したいと考えた結果である。
制作過程で用いた「異時同図法」で川に流れる酒盃を時の流れとして捉えながら、その流れを画面の視点中心として鑑賞者の視点誘導を行った。独自性のある表現を求めるため、既存の表現様式を離れ、名家たちが描いた「蘭亭曲水図」に見られる横に長い構図法ではなく、縦長の構図を試みた。それにより、曲線軸の遠近法を通して新しい感覚を与える奥行の空間を作り上げる事が出来た。
3.《鬼退治合戦図》 2024 年
サイズ 340cm × 178cm 材料 高知麻紙、岩絵具、金箔、銀泥など
修士課程修了制作《鬼退治合戦図》では、「異時同図法」を活かして主人公の桃太郎と仲間たちの異なった時間に起きた出来事を同じ画面に幾つも描き込み、非現実の空間に不思議な緊張感のある雰囲気を作り出した。
画面の全体に戦うイメージがある強い動きを強調し、鬼たちの表情や慌てふためく様子などを擬人化した。装飾性のある波の抽象的表現では時空の流れとして捉えながら暗示として描くことにより、不安や緊張な感情を具現化できた。
制作過程に於いて伝統的な美意識を持ちながら現代日本画作家として自分なりの作風を発揮したい。そのため浮世絵の造形美学や大和絵の様式化と装飾性を活かしながら、物語を新しい視覚表現で再解釈することをテーマとした。
4.《鶴の恩返し》 2022 年
サイズ 91cm × 72.7cm 材料 絹、染料、岩絵具、胡粉、截金、裏箔など
日本の昔話「鶴の恩返し」をモチーフとした絵画である。「異時同図法」で、一連の機織り動作を重ねて時間の流れを表している。
画面に一羽の鶴が羽を選別し、抜き、持ち上げ、糸に織り込み、そして羽ばたく異なる場面をイメージしながら物語を視覚化した。
制作過程では異なる時間にできた動きを設定するため動物園で鶴の特徴を長時間観察し、物語性を失わない範囲を前提として既存の参考資料、絵本なども読んだ上でのイメージ図を描いた。
5.《母は誰だろう》 2022 年
サイズ 92cm × 35cm 材料 高知麻紙、岩絵具、水干、銀箔、剥落など
昔話に留まらず日常に起こっているストーリーにも注目し、物語の現代性を推進させた。
《母は誰だろう》では、群れるおたまじゃくしが母を探す過程で様々な動物たちに出会いながら、自身の体が変化し、最後には母と同じ姿になっていくような物語を展開させた。小さなエピソードの中にあるおたまじゃくしの動向が時間軸の展開を進めていった。
制作の過程において古典絵巻や大和絵に見られる景の転換箇所を霞で覆う手法ではなく、経年変化を表す「剥落」の技法を生かした。画面に必要なモチーフを残し省略部分については剥落させた。
まとめ
物語は我々の文化や人生において重要な役割を果たしている。これらは感動的な体験や教訓などが組み合わされ、独自の世界観を構築している。物語を絵画化とし、日本画の独自の表現を通して視覚的な情報から意味を引き出すことにより、見る人により深い洞察と記憶が生まれる。それによって言葉を超えたメッセージの伝達が可能となり、鑑賞者との結びつきを深くし、情報を共有することだけではない感情や思想を共感する事ができる。
また人間は絵画を鑑賞する際、画面全体を眺めると同時に、各々の部分にも注視する。画面内を万遍なく見るのではなく複数の特定箇所に注目することが心理学実験によって既に実証されている。そこには「サッカード眼球運動」といった人の知覚と認識様式が介在し、注視時間の違いや順序が存在している。
説話絵巻や物語絵巻のようなストーリーを視覚化するという時系列のイメージ表現を旨とする絵画には、鑑賞者の視線を序列に従って誘導するものもある。そのような絵画を鑑賞する際には、動画のような運動感や時間感覚が生み出される。
科学的理論まで広く理解したうえで制作の実験を進めながら、今後アート分野だけではなく、モチーフに関わる参考資料や文献を読み、先行研究を基盤として絵巻の時間軸を現代日本画画面でも同様の表現ができることを実証しながら新しい展開を続けたい。
